diamondwaterの観劇日記

舞台、映画、展覧会、各種イベントに参加した記録、感想などをまとめています。

花組「サン=テグジュペリ」私的総論

谷正純 作・演出「サン=テグジュペリ」。計6回、観ました。私は同じ公演を複数回観ることが珍しくないヅカファンですが、ここまで観る度に印象が変わっていった作品は初めてです。演じるスターの演技が日替わりで毎回受ける印象が違うということはよくありましたが(そういうスターさん大好き)、しかし本作の印象が毎回変わっていった要因は、演じる人たちにではなく私の中にあったと思います。とても不思議な体験でした。


ツイッターで度々ツイートしていたのでフォローしてくださっている方々にはお馴染みでしょうが、本作の私の印象の変遷を端的にまとめますと、下記の通りです。


1回目:心ズタボロ(ズタボロぶりはこちらをご参照)
2回目:精神力で勝利(どう勝利したのかはこちらをご参照)
3回目:眠りの国へ旅立つ
4回目:笑いの神光臨、後、改めて谷先生への憎しみに駆られる
5回目:禅僧並みの精神統一を果たすも虚しさに襲われる
6回目:まさかの号泣


4回目、笑いの神が光臨したときは、ついに私もいかれたかと怖くなりました。サンテックスとコンスエロの出逢いのシーンであるパーティーで“うわばみ”のスケッチブックを前に繰り広げられるドタバタに「はは」と乾いた笑いが出て準備運動完了、そしてコンスエロがシャンゴの神に祈りを捧げるシーンでそれは爆発しました。なんでコンスエロは一人裸足、一人ノースリーブ、一人パーティードレスで黙々と踊ってんの?それもコンスエロ、ダンス超うまいし!!え、どうしてみんな平然とした顔してのんびりカクテルジュースとか飲みながらコンスエロのこと受け入れてるの??え、それどころかコンスエロが祈りを捧げてる神のこと知ってるんだ!?え、歌でダンス盛り上げちゃう?えーえーえーえーぇーぇー…と思ってるうちに、もう笑いが止まらなくなって。。。すみません、あの時は。無音で身体を震わせ続けたのでさぞかし周りの皆様は不気味だったことでしょう。。。そこからは登場人物たちが何をやってもおかしくなっていって、でも突然笑いの発作がピタッと止まった後はめらめらと谷先生への憎悪が渦巻いたのでした。 ♪憎しみぃ〜憎しみぃぃぃいいい〜〜〜♪ ヒトを憎むって、物凄い疲れるんですね。人を呪わば穴二つとはよくいったもので、負の感情を他人に向けたとき等量の負の感情が自分を蝕む。

というわけで、「これはいかん、憎しみに発展性はない」と考え直し、努めて冷静な気持ちで5回目の観劇に臨んだところ、今度は舞台上で何が行われていても心が常に一定のまま。「心頭滅却せば火もまた涼し」の禅僧の境地にいたってしまい、心が動かないこと動かないこと!! ♪冷静にぃ〜冷酷にぃいいいい〜〜〜♪ 私が何故舞台、ひいては、創作物が大好きなのかといえば、心を揺さぶられ自分だけの経験では得られない新しい感覚や感情を得ることができるからで、心が動かないとなると今度は猛烈な虚しさに襲われてしまい、これはこれで凹んでしまったのでした…。

もう一体どうすりゃいいのよと最早「無の境地」で挑んだ6回目。まさかの事態が私を襲いました。突如底が抜け、世界が明るく弾けたように感じたのです。ああ、そうだったんだ!!!!「そうだったんだ、そうだったんだ」と踊りだしたい気分でした。こういうの、悟るっていうんですかね??以下に、一体何が「ああ、そうだった」のか、まとめていきたいと思います。マイFA!


まず先に申し上げておきたいのは、私が観劇5回目までどうしても「サン=テグジュペリ」を受け入れることができなかった理由は、一般的に言われていた、演出の古臭さのせいでも、脚本のブツギレぶりのせいでも、前知識ナシじゃ意味不明な台詞や登場人物たちの数々のせいでも、人格が分裂したような登場人物たちの言動のせいでもなかった、ということです。私がどうしても受け入れがたかったのは、「時空が歪んでいる」ということだったのです。Aという人物が1ということについてCという人物に聞く、しかしCは2ということについて答える…というような捩れた会話の数々、Aの心のなかにしか存在しないはずのものをBもCもDもEも世の中の全員が把握している…という個が溶け合ってひとつの大きな意識を形成しているかのような不気味さ。これはもう時空が歪んでいるとしか思えなかった…!

本作がSFならば「オーバーロードでも降臨した?」で済みますし、本作が幻想文学だったなら「稲垣足穂作品みたいなもんなのかな?」で済んだんですけど、舞台構え(?)がサン=テグジュペリの一生を追ういわゆる伝記のような仕立てになっていたので、もうワケワカメもここに極まれりって思ってしまったのです。実際のところ確かに本作は「ミュージカル・ファンタジー」と銘打ってますし、冒頭は星の王子様の世界観を表現した群舞になっていますけど、でも芝居の始まり方がホルストさんとレオンさんという至極真っ当な人物たちによる現実世界からの過去振り返り形式だったもんで、本作が「ファンタジー」だとは私はこれぽっちも気付けなかった。それもよりによってホルストさんとレオンさんを演じた二人(だいもんとゆうちゃんさん)がまた芝居がうまくって。地に足ついた話だと思っちゃったんだよね〜…。これが私の敗因でしょう。というわけで、5回目まではこの二人のシーンが私の感動ポイントだったんですけど、6回目でこれは「ファンタジー」だと気付いてしまった後は、この二人のシーンは蛇足としか思えませんでした。

さて、では本作はどのように「ファンタジー」だったのでしょうか?

星の王子様がいる夢の世界と、現実の世界がいったりきたりするファンタジー、と捉えてるうちは私はもうまったく受け付けられませんでした。だって、星の王子様はサンテックスの夢の世界だよね?サンテックスの心の中で産声をあげ徐々に育っていった星の王子様が、作品としてこの世に誕生する前に、なぜギヨメやコンスエロの心の世界に現れるのか?なぜギヨメやコンスエロが星の王子様を知っているのか?ここが…ここがどうしても意味が分からなくて非常に混乱しました。似たようなシーンでも、メルモーズが星の王子様の有名な台詞を自分の言葉として喋るシーンは特に変だとは思いませんでした。何故なら「この台詞いいだろ?いつかお前の作品につかってくれ」と付け加えるから。この一言によって、メルモーズとの交流にヒントを得てサンテックスが、メルモーズへの追悼の気持ちも込め、星の王子様にメルモーズの口癖のような言葉を言わせたのかもしれないと考えられる。でもそのほかのシーンにはこういう一言が一切ない。もう…本当に私の頭の中はぐっちゃぐちゃになってしまいました。

では、どう捉えることで私は納得できたのか。星の王子様はサンテックスの創作物ではなく、星の王子様の世界はサンテックス抜きで成立するひとつの世界である、と捉えたんです。時間軸も別、世界観も別、時空も別の宇宙が複数存在し、それらの宇宙のなかに、サンテックスという男が地球で生きた宇宙と、星の王子様が星々を旅して地球にやってきた宇宙が別々に存在する。このふたつの宇宙が――ふたつの宇宙をいったりきたりするのではなく――複層的に重なり合っている、と考えてみた(SFにはよくある設定)。重なり合い、響き合い、サンテックスやコンスエロやギヨメやメルモーズの心に無意識に現れては消え、芸術の才能を持つサンテックスのみがそのヴィジョンを我が手に捉え創作物として世に現すことができた、と。そう思ったら、突如、すべてがガチンガチンガチーン!と繋がっていって、「サン=テグジュペリ」という作品を「分かる」ことができたんです。そうなってくると、星の王子様こそが本作の主人公のように感じられ、思わず星の王子様に感情移入。それがサンテックスやコンスエロやギヨメに溶け込みながら最後、天に昇っていってしまったときには、もう涙が止まらなくなっていました。最後、コンスエロがサンテックスに贈る言葉も、サンテックスだけではなく星の王子様への言葉に思え、♪涙ポロポロポロポロ流れて涸れ〜てか〜らぁぁああ♪状態になったのでした(節子、それ中島姐さんの「悪女」の歌詞や…)。なんだこれとんだ感動作じゃないですか!!!

私、上橋菜穂子著「精霊の守り人」シリーズが大好きなんですけど、守り人の世界ではナユグという別世界があって、時たま二つの世界が重なり合う瞬間があるという設定があります。能力のある者は、現実世界と別世界が重なりあって見えたりする、と。「サン=テグジュペリ」は、この世界観だと思いました。サンテックスは二つの宇宙が重なり合って見える能力者だったんじゃね?と。サンテックスが星の王子様の台詞を喋っているときは、世界が重なり合って見えている瞬間なんですよ、きっと(?)。

でもそんなイっちゃった状態のサンテックスを何故周囲の人間は何の不思議もなく受け入れているのか? それは本作がファンタジーというよりもマジックリアリズムだからじゃないか、と推測します。Wikipediaによりますと、マジックリアリズムとは下記の通りです。

マジックリアリズム、マギッシャーレアリスムス(Magischer Realismus)、魔術的リアリズム(まじゅつてきリアリズム)とは日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法で、主に小説や美術に見られる。幻想的リアリズムと呼ばれることもある。 MAGIC(魔術)の非日常、非現実とREALISM(リアリズム)の日常、現実という相反した状態が同時に表すこの技法はしばしばシュルレアリスム(超現実主義)と同義とされることがあるが、魔術的現実主義(マジックリアリズム)は、シュルレアリスムと異なり、ジークムント・フロイト精神分析や無意識とは関わらず、伝承や神話、非合理などといったあくまで非現実的なものとの融合を取っている手法である。
Wikipediaより引用)

分かりやすい例をいうと…例えば「百年の孤独」には、洗濯物を干してる途中にシーツにくるまれてそのまま天に昇っていってしまう女性が登場します。それについて特に説明はなく、周りも不思議なこととは捉えずに話は進行していきます。そんな感じ!(大雑把) 会話が捩れようが、突然、星の王子様がサンテックスやコンスエロに憑依しようが、ギヨメが狐になろうが、何の不思議もない。ですよね?

と、かような道筋で私の世界は底が抜け、光が降り注いだのでした。やーもー…、めっちゃスッキリしたっっっ!!!そして芝居を理解できた状態で観た「コンガ!!」の楽しかったことといったらもう…(悶)。我がヅカファン人生に悔いなし、ぐらいの勢いで堪能しましたよ。晴れやかな気分だった。みわっち卒業おめでとう、えりたん雪組トップスターおめでとう、まゆさん「サン=テグジュペリ」完走、おめでとう!もう、なんというか、世界よ、おめでとう!!!

そんなこんなで私の「サン=テグジュペリ」を巡る旅は迷走のすえ無事ゴールを迎え、修行の結果、私のヅカファンレベルは1ポイントアップしたのでした。ぴろろーん。




でもさ、ふと思うんだけど、谷先生は狙ってこういう作品つくったわけじゃない気がする。。。だって、私が解釈したような作品にしようと狙ってたのなら、ホルストさんとレオンさんをああいう形で出してこないと思うし。一応、星の王子様の世界に移行すると、ご丁寧に舞台装置に組み込まれたライトが別の色になったりしてたけど、なんかもうそういう問題じゃないといういうか。。。世界が移行しきれずに世界が重なってるときにはライトの色は変わってるような変わってないようなで余計混乱しましたですしね。ふ………………。谷先生、狙ってたの、天然だったの、ぷりーずあんさーみー…。

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