diamondwaterの観劇日記

舞台、映画、展覧会、各種イベントに参加した記録、感想などをまとめています。

2013年5月 観劇日記

歳取るたびに日々が過ぎていく速度が増す気がするんですが気のせいですか。生きてる総年数に対する1年が占める割合が毎年小さくなっていくわけですから、まあ当たり前といえば当たり前ですが。相対性理論ってこういうこと?(恐らく違います)と、くだらない言い訳してないで放置していた観劇日記を地味に更新。

【5月】
5月2日 「おのれナポレオン」(東京芸術劇場/アルヴィーヌ:天海祐希)19:00公演
5月9日 「ミュシャ展」(森アーツセンター)
5月18日 デザインフェスタ東京ビッグサイト
5月29日 映画「きっと、うまくいく」(シネマート新宿)
5月30日 パリ・オペラ座バレエ団「天井桟敷の人々」(東京文化会館マチュー・ガニオ


以下に感じたことをまとめます。


「おのれナポレオン」。初・三谷幸喜氏、初・野田秀樹氏でした。そして「薔薇とサムライ」以来の天海のゆりちゃんで、初めての山本耕史氏でもありました。いや〜演劇門外漢としては、野田さんが役者としてもあんなにうまい人だとは露知らず。野田さんありきの脚本であり演出なんだろうなあと思ったほど。ほんと笑った笑った。最早、出オチだった笑。山本さんは、危うげない演技と、舞台にはえるスタイルで好印象。藤原竜也さんのときも思ったけど、TVで見るよりさらに魅力的に感じる俳優さんだった。そして天海のゆりちゃん。宮沢りえさんの代役で話題になってしまいましたが、天海のゆりちゃんも十分素晴らしかったんだからね〜!と、ネットの片隅で叫んでおく。あの役者陣のなかでも遜色ない存在感、コメディエンヌぶり。また舞台をやってくれることがあったら何としても観に行きたいと思います。

ミュシャ展」。リトグラフは印刷物と本物で印象が大きく違うことはそんなにないと思いつつ、わざわざ展覧会に行ってみたのは、リトグラフ以外の作品現物を見たかったから。で、見た感想は、「油絵だろうが水彩だろうがモデル写真だろうが手段は選ばずミュシャミュシャ」。例えば、ミュシャがモデルたちを撮影した写真。写真なのに「これはミュシャだ」って分かるの。ということは、ミュシャミュシャたるゆえんはポーズにもあるのかも?
それにしても、ミュシャといえば私のなかでは「イラストの元祖」なのだけど、ほんとリトグラフだろうが水彩だろうがデッサン画だろうが油絵だろうが、表現手段が何であってもイラストに見えるというのは興味深かった。一体これは何故なんでしょうね?展示作品を意識して見比べたけど、主線の有無は「イラストぽさ」とはどうも関係ない…。でもそもそも、自分がイラストと感じない絵って何なんだろうとか考え始めると、ドツボにはまりました。多分、小さい頃から美術館で見てた絵画をイラストぽくないと私は考えていて、日頃雑誌やら何やらで日常生活内で見てるものをイラストぽいと捉えてるんじゃないのか。ミュシャが広告ビジュアルとかイラストとか呼ばれる分野にでっかい影響を与えたから、んで、その影響下にあるビジュアル類を私は日常生活内で見ているから、そして日常生活内で見るものをイラスト的と捉えているから、ミュシャ≒イラストに感じる…ってことなのかも?ミュシャをイラストっぽく感じる理由は自分にあった、みたいな。因みに、日本画だと、浮世絵は木版も肉筆も私の目にはイラストっぽく映ります。でも近世風俗画や障壁画やらはイラストっぽく感じない。やっぱり大量生産に向いている絵(リトグラフや版画など)をイラストっぽく感じてるのかしらね…??
ま、そんな御託は置いておいて。絵を大好きで自分でもイラストを描いたりする少女の御多分に漏れず、私も一時期ミュシャにはまっていた口。そのころの気持ちを改めて思い出させてくれた純粋に楽しい胸キュン展覧会でした。とにかく抜群に人好きするポピュラーな画家なんだな〜と観覧の人混みに揉まれながら改めて痛感しましたよ。イラストぽさがあってとってもポピュラーといえば、ボッティチェリもいつか生で見てみたいな〜。

デザインフェスタ。ずっと行ってみたいと思いながら機会を逃していたイベント。遂に見参!技術レベルの高い高校文化祭のような感じで面白かったですね。特に、気に入ったものをその場で購入できるというのが面白かった理由。やはり量産されたものより、制作者がひとつひとつ考えながらつくっているモノのほうがどう考えても「手に入れる」ときの高揚感が違います。“物語”――いわゆる5W2H――があるモノはやはり所有欲を満たすなぁと最近感じているので、ほんと欲望を刺激されまくった半日でした。モノに宿る物語≒5W2Hってのは、誰が何処でつくったのか、誰が何を目的につくったのか、誰が何のために買ったのか、自分は何を思って買ったのか、自分は何処で飼ったのか、誰からもらったのか…ていうシチュエーションのことを言ってます。大量生産品を自分自身が日常生活で買うとき(例えば、プレタポルテを自分で自分のために仕事帰りのデパートで買う、といったシチュエーション)は、5W2Hは無に等しく、買うという行為は単なる消費に成り下がってクソつまんなくなるわけですよ。そういうとき、「自分へのご褒美」だとか謎の呪文を唱えて物語≒5W2Hを演出したり、ブランドが提示する物語≒5W2H(ブランドが持つ歴史や職人技、店舗が演出する特別感)にときめいてしったりするのは分かるんですが…でもやっぱり量産品ではない、1点モノが持つ5W2Hには適いませんなぁと思いましたです、はい。
さて展示物の内容ですが、「デザインフェスタ」ですので、プロダクトが多く、アート系の数は少なかったですね。アートを見に行ったわけではないのでそれは全然構わないんですけど、その数少なめのアートを見ていて思ったのは、「どこかで見た」感じの作品が多かった、ということ。でもこれは、作品群を工房で大量生産されたプロダクトと捉えたのか、アートとして捉えたのか…どちらと捉えるかによって、評価も変わってくるな、とも思いました。私は思わず「その人にしか表現できない世界」を求めてしまったけど、何といってもここは“デザイン”フェスタですから、やっぱりそんな独自性を求めること自体が間違ってる、のかもしれない。うーん、ここらへんは突き詰めると美学の世界になるからこれ以上は怖くて進めん。アタシ、ヨクワカラナイ!でも「どこかで見た」という作品は、もう既に先駆者がいる新しくない世界観かもしれないけど、大抵そういうのはフォロワーとなる気持ちがよく分かる魅力的な世界観。だから技術的に保証されていれば「どこかで見た」かもしれなくても、魅力的なもの魅力的。それは確かです。発祥者であることと、追随者であることと、表現することと、つくることと。いろいろ考えさせられてとても面白いイベントでした。

映画「きっと、うまくいく」。見終わって真っ先に思ったのが「近年稀にみる」。「近年稀にみる、何だ!」と言われますとですね、青春群像であり男子学生寮モノでありコメディであり愛と友情の物語であり問題提起であり…まあすべてです。複雑な世界を複雑なまま見せる作品もいいけど、複雑な世界を単純に見せる作品の力強さはやはり別格。複雑というのはファジーってことで、ファジーな電化製品は壊れやすいでしょ?(話がズレてる)世の中を単純に捉える心の強さというのは、とても尊いものなのかもしれません。最近の日本人に欠けてんの、コレじゃないの!?みんな優しさを求める(いや、求められる?)あまり、遠慮というより萎縮してるんじゃないかしら。私は強く泥臭くダサいぐらい真剣に生きたい、と思っていることを思い出した。本当に見て良かった一本。

パリ・オペラ座バレエ団「天井桟敷の人々」。前回来日時の全幕物「シンデレラ」は若いカンパニーがキラキラと踊った青春群像という感じでしたが、今回はオトナなカンパニーがオトナの世界を渋くエロく切なく踊った、という印象を受けました。キャストというより、世界観の違い?仮面をつけたピエロたちが開演前や幕間にロビーでビラ配りをしたり、ロビー階段を舞台に2人のダンサーが「オセロ」を踊ったり…小憎い演出がお洒落でしたね〜。さすがフランス、さすがパリヒィ!でございました。