diamondwaterの観劇日記

舞台、映画、展覧会、各種イベントに参加した記録、感想などをまとめています。

2012年7月 観劇日記

既に夏バテで一度倒れました(告白)。クーラーをつけて寝ると具合が悪くなる、かといって都会の女一人暮らしで窓を開けっぱにして寝るのは怖すぎる、ということで、クーラーもつけず窓も閉めきって寝た結果がコレ。このままでは8月がマジヤバイということで、ヨシズとサーキュレーター、アイスノン枕を購入。更に、窓に貼る断熱シートも購入検討中です。夏だけ仙台に帰りたい…。
さて、夏バテしながら観に行ったのは下記公演でした。

7月7日 星組「ダンサ・セレナータ/セレブリティ」(東京宝塚劇場
7月24日 星組「ダンサ・セレナータ/セレブリティ」(東京宝塚劇場
7月29日 星組「ダンサ・セレナータ/セレブリティ」(東京宝塚劇場
7月29日 「スリル・ミー」(天王州銀河劇場)

星組三昧。以下、感想をツラツラ。


まずは星組「ダンサ・セレナータ/セレブリティ」。
「ダンサ・セレナータ」、私としては「良い正塚せんせ」認定でした。全般にハッキリしない曖昧な感情に基づいて進んでいく物語で、乱暴に言ってしまうと、筋があるようでなく、オチがあるようでない。登場人物の行動も、理由があるようなないような、筋が通ってるような通ってないような。でも、実際の人生も、まあそういうものだよなぁと思うとまったく気になりませんでした。AだからB、BだからC、というふうに論理的に割り切れる感情や行動ってそんなにない。特に人間関係に纏わる感情はね。そこを理屈通りにつくってしまったらいかにもツクリモノの物語になってしまったりするので…整合性より優先されるべきことが時にはある、なんて思ってみたり(作家に甘いんです、私)。そういう点で「ダンサ・セレナータ」は“リアル”だったなぁと個人的には思っております。それにしてもこの曖昧かつ複雑な感情群を淡々と描いていく感じ、まるでヨーロッパ系の単館映画みたいだなぁと思っていたのですが…とある情報筋によると、この物語はイサアクの回想なので場面場面のつながりが流れるように曖昧にしてあるという演出情報を聞き、超納得しました(ネタ元秘匿してみたけど、いいかな?NGかな??要削除の場合はご連絡ください)。確かに!これ回想文!!主語「私」の、ちょっと脳内と現実が入り乱れた芥川賞系短編ってやつ!!!そういう観点でいうと、「オーシャンズ11」は直木賞系の娯楽長編小説で、ハリウッド系全国ロードショー映画だった。
はあ、しかし。イサアクとモニカの恋は地味で渋いけど、じわっと込み上げてくるものがありました。本編中2人は恋人同士になってはいない、よね?キスどまり。イサアクとしても「気持ちを確かめてる最中だ」的なことを言ってるし。いよいよ離れ離れというときに、やっと気持ちが固まったという感じかな(アンジェリータがいうところの「自分の決めた範囲」を超えてモニカに思いやりと優しさを示したイサアク。相手のことを我がことのように心配し、リスクを負ってでも相手のために行動するというのは、まさに恋する者の行動よね)。そして離れ離れになった直後に軍蜂起→独裁政権崩壊、植民地独立。社会的混乱が続くなかクラブも閉店。しばらくは植民地⇔本国間の行き来も停止したことでしょうね。自分の生活の基盤を建て直し、社会的混乱が治まって定着するまで5年はかかったとみるが、いかがか。そこからさらに5年。社会的混乱が治まったといっても、現代日本で体感する5年とはまた違って、それなりに日々の生活も困難だったのでは。そんななか、10年間会わなかった2人…。実際のところ恋人同士だったわけでもないし、「それどころではない」と思う気持ちもあっただろうし、お互いに居場所を確かめ合おうと思わなかったのは……うん、とても分かるな。ジョゼが探し当てたぐらいだから、探そうと思えばすぐにでも会えただろうに、敢えて探さなかったとしか思えない。そんな2人を引き合わせようと思ったジョゼは、いいヤツだよね。モニカに「逃げるのも手だ」と勧めたことが気になってたのかしら? 自分とアンジェリータだけが幸せになったような気持ちになったのかしら?? このジョゼの押し付けがましくない、さりげない優しさは、中の人へのアテガキなのかな。イサアクとモニカが互いに届いた手紙を見せ合うシーン。ジョゼの「まあ、そう難しく考えず」という声が聞こえたような気がしたよ。あの「おやすみ〜」という口調で。話が逸れた。で、ですよ。ここまでとても曖昧に物事が進んでいったのに、ラストだけはめちゃくちゃファンタジーでのけぞりました。10年の歳月が流れたというのに、イサアクとモニカはお互いにお互いを憎からず思っていたなんて!!!「すてきぃすてきぃぃぃずでぎぃぃぃ」と叫びながら床を転げまわりたくなりましたよね。ろまんてぃっく☆とまらないっっっ!!!やだわ、正塚せんせったらリアリティ追求派と見せかけてとんだロマンチストよ。けしからんわもっとやりなさい。実際、こういうシチュエーションがあったとして、リアルの世界により近いのは映画「ひまわり」でしょうよ(戦争からの帰りを待つ妻、現地で別の女性と結婚して家庭を築いてしまう夫、そして妻のほうにも…)。でもヅカですからね、こんなファンタジーがあっていいと思う!再会してからのイサアクとモニカのデュエダンは、本当にロマンティックだった…。優雅なリフトから流れるようにくるくる回りながらのキスに移行していき、最後ポーズを決めたところで幕! ここのキスシーン、数多いちえねねキスシーンのなかでも群を抜いてファンタジックだった思う。まさかくるくる周りながらのキスを三次元で観られるとは思わなかったわ。少女漫画が霞むってもんよ。正塚せんせ、星組さん、おつかれぃ!
さて「セレブリティ」のほうは…楽しかったし、興奮したけど、お笑い要素をショーに求めない人間としては、あのヒーローシーンがちょっと長く感じました。で、ふと思い出したのだけど、「コメディシーンがストーリー仕立てであって、それも長い」「冒頭からエンジン全開のオラオラ系シーンが連続し、基調となる色は赤と黒」といえば、花組「Exciter!!」という前例があったよね。あのショーも、楽しかったし興奮したけど、個人的にはMr.YOUのシーンが長く感じてあんまりのりきれなかった。どちらもその他のシーンが良かっただけに、ちょっと残念。あ、でも、ショーのなかにあるコメディシーンといえば、「“R”ising!!」の劇場裏方さんシーン、「REON」の紅子シーンもそれに当てはまると思うけど、あれらはどういうわけかどちらも長く感じなかったなあ。ショーじゃなくコンサートだから? 匙加減の問題?? 演出って難しいね。最後に。「セレブリティ」は全ツに持っていくショーなわけだけど、ベニーが別班でいないなか、ただでさえ長いあのヒーローシーンを持たすのはなかなか難しい気がする。どうすんだろ。稲葉せんせ、妙案を期待してるぜ!


次に「スリル・ミー」。
私が観た回は「私」が田代万里生くん、「彼」が新納慎也さんでした。たった2人の演者、ピアノ1台の演奏、どこまでも無駄を省いたミニマムなセット。演技や感情が剥き出しに提示される舞台でした。そして、演者の集中力もさることながら、観客側の集中も凄かった。あんな静かな会場は、クラシックコンサート以外では初めてですよ。脚を組み替えるのすら躊躇われたわ(衣擦れの音が響くんです)。
さて、内容。“その要素”があることは粗筋から予測してましたが、予想以上にリアルゲイでのけぞりました…! 支配・被支配、執着、セックス、「彼だけは」「僕だけは」というお互いに対する特別感、罪と罰、優等生、社会的地位が約束された未来(それに伴う社会の目)、鬱屈、不安定な衝動、共有する(しようとする)思想、哲学…。この、現代のBLにはない湿った感触の数々。これはあれだ「JUNE」の世界だ!と芝居を観ながらその懐かしさに呻きました。あれでしょー、すべてひっくるめて、“愛”なんだよね? これ10代〜20代で観てたらヤバかったかも。でも今の私にとっては懐かしさのほうが上回って、のみりこむほどのパワーは感じなかったかなぁ。小説や漫画を読み漁って充分に、散々、探求した世界だから…(したのかね)(はい)。でも、「彼」には凄い心惹かれた。ニーチェを崇拝し、「超人」を連呼する彼…。哲学は苦手なジャンルでしてニーチェをしっかり読んだことはなく、「神は死んだ」の人だよなぁというレベルの教養しかありません。そこで、とりあえず「超人」を簡易的にwikiで調べたところ(手抜き失礼)、下記のような記述でした。

ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』において、人間関係の軋轢におびえ、受動的に他者と画一的な行動をする現代の一般大衆を「畜群」と罵った。その上で、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いた。個人主義の推奨とであり、「自身の善悪観が世界に屈服しない生き方の推奨(己の価値観=全て)」とまで言えば間違いではない。(Wikipedia

ははぁ…。1920年代のアメリカでゲイであるということは、かくも苦しい葛藤を生んだのですね。「彼」は「私」の上に君臨しているようにみえて、結局、何か罪を犯すとき必ず「私」を巻き込んで一人ではしないじゃないですか。そのほか細かいことを挙げていったらキリがないほど、「彼」は「私」に依存している(後半のドンデン返しもさもありなん)。この「彼」の「強くて脆い」状態を理解するためのキーワードが「超人」の概念、ということなんですね。生きる苦しみを克服するために「超人」を目指して、でも結局「超人」になれきれずに沈んでいき「私」の愛に呑み込まれる…。『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んだうえで舞台を観たら、また違う観方ができるのかな。それにしても、この強くて脆い「彼」、魅力的ですね。「彼」側の視点の舞台をつくってくれたら観に行くと思う。再々演が決まるほどの人気だそうですから、スピンオフをつくるのもありなんじゃないでしょうか。日本オリジナルでもいいじゃん!わっしょい、わっしょい! それと、twitter経由で拾った各種感想によりますと、本作はキャストの組み合わせによって受ける印象がかなり異なるようですね。私は見た目だけでいったら、「彼」伊勢谷友介、「私」ARATAで観てみたいな〜(お前1990年代の「Men's non-no」読んでたろと一発でバレる人選)。でも歌えないと絶対無理か。ま、妄想ならいくらでもできるということで、しばらくいろいろ楽しみたいと思います。ふふ…。