diamondwaterの観劇日記

舞台、映画、展覧会、各種イベントに参加した記録、感想などをまとめています。

『ソラニン』について考えた

ソラニン』1巻。帯に「次世代マンガ」と書いてあったのと、何となく気になる設定だったので買いました。どこらへんが気になる設定だったかというと、社会人になりたての23歳という主人公たちの年代。私が読んできたマンガは、すでに会社員となって働いている状況で仕事や恋に悩む物語、学生時代の青春物語、もしくはまったくのファンタジー、といったものが中心で、大学生から会社員になるあたりの最も不安定な年代を描いたものはありませんでした。だから年代設定だけで新鮮な気持ちになったんすよね。


で、読んだ感想は。「まさに次世代だよ~、このマンガ!」でした。

このマンガが特に新しい表現方法をとっているわけではありません。表現の新しさでいったらぜーんぜん高野文子とか松本大洋とか五十嵐大介とか西岡兄妹のほうが斬新です。「絶望一歩手前のリアル」的なものをうまくすくいとってる、という評が聞かれたりしますが、そのテーマでいけばやまだないとの『西荻夫婦』とか、ちょっと古いけど岡崎京子の『リバーズエッジ』のほうがよっぽどリアル。じゃあ何が次世代で新しいのかというと、出てくる人物たちの思考方法が次世代なのです。私はまだ28…じゃなくて27歳ですが、それでも感じる「若い」世代への違和感をここでも感じました。なんというか、「若い」人たちの、「素のはずなのにキャラクターを演じている感じ」、がうまく出てる。感情の発露としての個性ではなくて、その個性を演じている、例えば、優しいのではなくて優しい自分を演じているような。心と現実の自分が遊離して客観的に自分を観察している感じ、とでもいうのかなあ?

そして、孤独とは無縁な感じ。良い意味でいうなら「人という漢字は人と人とが支えあっている様を表している」というのを地で行くグループ魂的雰囲気。悪い意味でいうなら、馴れ合って独りでいる勇気がない感じ。ここらへん、同じ「青年よ、ミュージシャンを目指せ」系のハロルド作石の『BECK』とも全然違いますね。

凄くうまく感情が描かれているし、結果的にあの年代独特の、こそばゆく青臭い感じも見事に表現できてるのですが、じゃあ共感できるのかっていったら、できん。私とあのマンガとの溝は何によって出来上がっているのでしょうか。携帯普及以前と以後?ADSL普及以前と以後?何だか興味深いので、2巻も買うつもりです。

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さて。そして2巻が発売された訳ですが。以前、1巻を読んで「ぃゃ待て、1巻目で評価を下すのはいけないことだ」と我慢していたこの気持ち、ここでぶつけちゃっていいですか…?もうどこを突っ込んでいいのか分かりません。そんなわけでとりあえず、簡単なところから、漫画としての疑問点を提出させていただきます。


(1)ヒロインの性格が1話目とそれ以降でほぼ別人
成長して変わったというのではなく、もうベースが!基礎が!根本的にありえないぐらい変わっている。


(2)安易に主要登場人物を殺す
この作品の意義は流行りの「自分の居場所探し」の先にある「挫折」「終わりなき日常」をリアルに描く、と理解していたのですが。が!!なんとその先の「挫折」「終わりなき日常」は描かれずに主要登場人物が事故死という結末。後は、恋人をなくした「喪失感」とその後に続く「終わりなき日常」がメインテーマの漫画に変身してました。……よく編集者がこれを許したと思います……。死んで終わるような漫画なら、とっくの昔に吉田秋生がもっとうまく描ききってますし、恋人なくして云々なんつーのは遠い昔から描かれつくされてます、もっとリアルにかつ深く!!!


読み終わった後の「で?」という気分、どうしてくれよう…。というよりも、死んで終わりならそんな楽な世界はねーよ、と誰かに向かって叫んでやりたい…。

それから、それから!もっと憤懣やる方ないのは登場人物たちの性格およびコミュニケーションの仕方、プラス生活態度じゃ!!!!世界が内に向かって閉じてるのは言わずもがな、達観してるように見せかけて「でもオレら真剣なんです」的なセンチメンタリズム。他人によりかかって当然という精神的に自立していない感じ。そのくせ「もう私たちもオトナ…」みたいな生意気ぶり。もっと問題なのはこの作品に共感したという24~25歳が私の周囲に多いこと。それも職場に!!

ということは、24~25歳の気持ちをリアルに描けているということで、20代前半を対象とした場合、才能のある漫画家なのかもしれない…って、そんな狭い世界にとどまってて表現者として恥ずかしくないのかー!!!って編集者はどなりつけてやれーっ!!ハァハァ。

……もう忘れよう、この作者および作品のことは……。