diamondwaterの観劇日記

舞台、映画、展覧会、各種イベントに参加した記録、感想などをまとめています。

2012年6月 観劇日記

twitterで話題になってて初めて気付きましたが、もう2012年の半分は過ぎ去ってしまったのね!?早い…。ぼやぼやしてる場合じゃありませんね。残りの人生も(もし80歳まで生きるとして)半世紀を切りましたし、気張っていk…あれ?まだまだ先は長い気がしてきた…。半世紀弱、まだ残りの人生あるってことか。。。いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや気張っていきましょう!

さて、6月は宝塚ではない公演を観た回数のほうが多いという珍しい月でした。


6月2日 シュツットガルト・バレエ団「じゃじゃ馬馴らし」(東京文化会館
6月5日 宙組「華やかなりし日々/クライマックス」(東京宝塚劇場
6月9日 劇団☆新感線シレンとラギ」(青山劇場)
6月21日 「エリザベート春野寿美礼/マテ・カマラスほか(帝国劇場)


以下、感じたことまとめ!


 「じゃじゃ馬馴らし」はバレエとして素晴らしいのはもちろん、物語や演出がとにかく面白くてぐいぐい引き込まれました。ボリジョイ・バレエ団「スパルタクス」がハリウッドの超大作映画、ギエムの「田園の出来事」が単館系のインディーズ映画とするならば、今回の「じゃじゃ馬馴らし」はスマッシュヒットしたフランス発のラブコメディ映画という感じ。
 まあとにかくヒロインが横暴で暴力的なんですけど(殴る蹴るをダンスで表現するとああなるのな・苦笑)、観てるうちに可愛く思えてくるのが不思議。素直で、自分に正直な女性なんだよね。ラストの場面とか、横暴で暴力的だったヒロインがすっかり貞淑な妻になって現れて、周囲に注意されるどころかむしろ周囲を諌める側になるんだけど、またそれが得意満面な子どもみたいでねぇ。「すーぐ感化されるんだから、得意になっちゃって、もう」と、その素直さに苦笑しながらも微笑ましく見守ってしまいました。そして、ヒロインを口説いて結婚して貞淑な妻に仕立て直す相手役の男もよかった。男臭くてだらしないんだけど(いっそ不潔なレベル・笑)、その分、鷹揚で懐が深く、ヒロインがどんなに暴れてもどこ吹く風で口説き伏せる男らしさがあって。どこのハーレクイン、どこのBLの攻め、といった男ですが、いや、惚れた。ああいう男性って憧れちゃう。男も惚れる男ってやつですな。たまらん。いやぁ、よいもの観た!
 あまりの面白さ可愛らしさに「ヅカでもやってほしい!」と思いましたが、よく考えると台詞のないバレエだからこそ受け入れられたのかなぁと後で思いなおしました。男がヒロインを口説き伏せるとき、少しでも男尊女卑的な言葉を口走ったら一瞬にして冷めちゃうもん。女性の演出家が慎重に慎重に台詞を吟味しないと成立しない筋書きだと思う。石田せんせは絶対NG、小柳せんせだったらギリギリ何とかなるかな?
 まあでもとにかく面白かった!あれだけ笑えたのも群舞まで含めて見事なコンビネーションで絶妙な間をつくりだしてたからだと思いますし、やはりバレエ団まるごと来日公演は美味しいですね。

 宙組「華やかなりし日々/クライマックス」、ユウヒさん見納めということで観てきました。一番心に残ったのは「クライマックス」の、あの赤くて闇いフラメンコ風のシーン。男が女を殺す瞬間が何度も何度も形を変えて繰り返されること、それに合わせて静寂とコーラスが繰り返されること、舞台が赤を貴重に全体的に暗くボンヤリとしていること……あらゆる要素が、私がよく見る「悪夢」に似ていてクラクラしました。響く靴音、床に映る赤い照り返し、コーラスが止んだ後の残響。ヅカであってヅカではないようなシーンでしたね。twitterでの感想や、同行した先輩の感想を聞く限り、このシーンはあまり評判がよくないようですが…私は正直あそこがこのショーの白眉なのではないかと思うくらい感じ入りました。まあ、「悪夢」でしたけどね(苦笑)。「悪夢」ですから、悪趣味と言われても仕方ないですけどね(二度目の苦笑)。でも、ああいうシーンをヅカでやるとしたらできるのはユウヒさんぐらいだろうし、コーラスの厚みがないと成り立たないという点でも宙組以外では無理だったろうし。評判が悪く気分を害した方もいたであろうことは知りつつ、「さすが宙組、さすがユウヒさん」と思った人間が一人でもいたことを伝えたく、ここに正直な感想を記しておきます。

 次に「シレンとラギ」。藤原竜也@ラギの「へぇ、そうなんだ」という台詞一言でチケ代の元は取れたと思う(真顔)。声もいいし、間もいいし、前後の脈絡もいい。んにゃ〜久々に滾ったわ。しかし物語自体は近親相姦を扱っていたせいもありモヤモヤが最後まで残り、「作者は近親相姦という設定を通して何を訴えたかったのだろう」という思いも拭いきれず…。1幕最後、シレンが自分の母だったと知りラギは慟哭するわけですが、あそこの桜吹雪がゴォゴォと舞い散るなか岩の上で絶叫するラギ、は一幅の絵のように決まっていて、もしかしてこの場面をつくりだすための装置としての近親相姦設定だったのかなぁとも思ってしまったりして。2幕最後の「母として?女として?」「いいえ、人として」という〆が弱かったのもある。私は近親相姦を心の底から嫌悪してるので、いやそれどころか、そういうことをした人間を良心の呵責なく差別できるぐらい受け入れがたい気持ちを持っているので、もう近親相姦が成立してしまった時点で思考が停止してしまうんですよね。そういう、私のなかの大きな倫理の壁を揺り動かすほどの“何か”は、「シレンとラギ」にはなかった。でもどっかの軽率で軽薄な少女漫画作品みたいに肉体関係を継続する様子は全くなかったので、モヤモヤしつつも観続けることができたかな、と思います。近親相姦は難しい主題だよね……。私がこれまで読んだ作品のなかで近親相姦を納得のいく形で扱っていたのは、「日出ずる処の天子」だけだな。
 ところで、藤原竜也さんですよ(唐突)。初見だったんですけど、男役レベルでかっこいいリアル男性俳優、初めて観た。舞台では顔がかっこいいことより(いや、藤原竜也さんは顔もかっこいいんだけど)、プロポーションがいいこと、声がいいこと、佇まい(つまり仕草?雰囲気??)がかっこいいことが二枚目に見えるキーポイントなんだなぁと改めて痛感しました。後、鼻筋の美しさ。藤原竜也さんは、蘭寿とむ並みに鼻筋が通ってた。舞台上で俳優が正面を向いていることは少なく、俳優たちは常に横を向いたり斜めを向いている状態なわけですけど、鼻筋が高くてすっと通ってると、横を向いたり斜めを向いているときのポーズがめちゃくちゃ決まりますよね。もう1度、別の舞台で藤原竜也さんを観てみたい!彼の次の舞台は蜷川演出の「日の浦姫物語」とtwitterのフォロワーさんに教えてもらったので、行ってみたいなぁとムラムラしてます。ところで調べてみたら「日の浦姫物語」も「シレンとラギ」同様、母と息子の近親相姦モノなのね^ ^; なんなの、近親相姦モノが流行ってるの!?

 最後に、東宝エリザベート」。マイ楽でした。オサさんの歌や演技が開幕直後よりずっと練りこまれていて、滂沱の涙を流す羽目に陥りました。「エリザベート」で泣いたのは、ヅカ版、東宝版を通して実に初めてのことです(滅多に泣かない女S)。
 私にとってのシシィは、自由を希求するあまり時にエゴイスティックなほど強い女性、というイメージで、(結婚式翌日に歌う「私だけに」を筆頭とした)自由を求める強い気持ち、自分の人生は自分のものであるという自主自立の精神には非常に共感し高揚するものがある一方、その分シシィが年老いるにつれ人生の困難に負けていくのを観るのは忍びがたく、悲しいというよりも「負けてしまうのか、自主自立を求めた女はこうなってしまうというのか」という反抗心(?)のほうが強く心に残り、これまで泣くにはいたりませんでした。
 でもオサさんのシシィは、強さより人としての弱さのほうが前面に出ているように感じられ、「負けていく悲しさ」のようなものにすんなり心を添っていくことができたのです。その時その時を真剣に生きているのに、どうしてこんなにうまくいかない。そんな自分の来し方を思い返すことはあるのだけれども、強さが足りなくて軌道修正もできない。それを自分でもどうしようもなく見つめるだけで、辛い。その辛い現実から逃避して夢幻の世界へ心を飛ばしてみたりして…。そういう心の流れの象徴として、シシィがハイネの詩を称えながら父のマックスを思い出すシーンがあるのですね?あのシーン、しみじみと胸に沁み入りました。そこに襲いかかるさらなる不幸、ルドルフの自殺。結局、シシィはルドルフを取り返したくせに放置し、最後はその救いを求める手すら振り払ってしまうわけですが、このシシィのブレ・矛盾も彼女の弱さゆえだったのか、と、今回初めて “分かった”気がしました。頭では理解していたものが腑に落ちたというか?初めて「ママは自分を守るために、あなたを見捨ててしまった」という台詞に納得がいったというか。織り重なっていく数々の悲しみの末、訪れる夜のボートのシーン。あんなに嬉しそうにフランツに恋をしていたシシィなのに、お互い愛があったはずなのに、様々な人生の困難を前にすれ違わざるを得なかった夫婦二人……。何という寂しさ……。シシィが自主自立を目指したからではない、自由を希求したからではない。誰もが持つ、人間としての、根源的孤独、というのですかね。。。その寂しさ、孤独、悲しさを穏やかに歌い上げる二人に、号泣せざるをえませんでした。最後、ルキーニに刺されトート閣下の死の接吻を受け入れるシシィ。これまで「これは果たしてハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、なんなのか」と、よく分からなくてモヤモヤしていたんですけど(なので、トートとシシィの恋物語としてのハッピーエンドを演出するヅカ版のほうが私には分かりやすくて好きだった)、オサさんシシィの場合、「ああ、死が彼女に訪れて、やっと安らかな眠りを彼女は手に入れたのだな」と、とてもすっきり受け入れられました。彼女の死が、敗北でもなんでもなく、人生というものを生き抜いた末の、穏やかで安らかなものであることを確信できました。シシィよ、安らかに眠れ…。
 別に他の方のシシィについて、特に思うところがあるわけではありません。単純に、オサさんの演技が私の波長と合うんです、きっと。だからこそ、私にとってオサさんは永遠の贔屓でありえるのだなぁ。オサさんを通して、様々な人の人生を体感していきたい。これからも、オサさんが芸能活動を続けてくれますように。その年齢にあった、素敵な役が巡ってきますように。改めて春野寿美礼が「私のオリジン」であることを確認できた、東宝エリザベート」でした。さんきゅう。